口癖と沈黙

いきなり電話口で「俺の口癖はなに?」と聞かれた。
電話の相手とはたまに電話をする仲で、最後に会ったのはかれこれ一年前だろうか。
関西訛りのすこしけだるそうな声を聞きながら、彼の顔を思い描いた。

「急に言われると、特に思いつくものは無いけれど」
「そうか、意味は無いねんけどな」

でも、いつも駅前の立ち飲み屋前にあるベンチを観ると彼を思い出す。なぜだろう。
いつもそこで話をしていたわけでもないし、何か大きな出来事があったわけでもない。一度だけそのベンチで待ち合わせをしただけである。
なのにそのベンチの前を通るたび、思い出してしまうのだ。
どんな服を着てどんな体勢でどんな風に待っていたのか、克明に頭に浮かぶ。
まるで彼が口癖のように、いつもそこに登場する。

わたしは口癖には大きく分けて2つの性質があると思う。
ひとつは、癖のようにいつも口を突く言葉たち。
もうひとつは、いつも口を突く言葉とおなじくらいのインパクトを持つ言葉だ。
後者の口癖は、個人のそれというよりは時代が発生させる集合的無意識だ。
同じ枠内に属する人々が知らず知らずのうちに、同じ言葉を使う。その枠内は学校や職場といったコミュニティだったり、世代だったりする。
そうした枠の外側に居る聞き手が、違和を覚えたとき、その言葉は口癖になるのかもしれない。

おそらくわたしにとって、あのベンチは彼との待ち合わせにはコブだった。