三面鏡とベランダ

祖母の姉は、画家だった。
一人で大きな庭のある立派な長屋に住んでいて、絵を描くことと庭をいじることだけが生き甲斐のようであった。
祖母や母は、彼女のことをあまり良く思っていないようで、わたしが彼女の家に遊びにゆくと駄々をこねると怪訝な顔をしていたが
いざ彼女の家に着くと、笑顔の能面を貼付けて乾いた声で笑っていた。

小柄な彼女が一人で住むには広すぎるその家には、使われていない部屋がたくさんあって
わたしは厠(かわや)へ立ったときなど、一目を潜んではその部屋部屋をそうと覗くのが愉しみのひとつだった。
薄暗く黴臭い部屋は、わたしの住む家のどんなところにも居ない光と空気を孕んでいて、何か覗いてはいけないものを覗いているような背徳感と罪悪感がわたしの胸を高鳴らせていた。
レコードの山や、フランス人形の群、古い外国の切手や洋紙皮が、ひっそりとこっちにおいでと手招きしてくる。だけれどもわたしには敷居を跨いでしまったら最後、薄闇から戻ってこられなくなるような気がして
覗くだけで部屋の中に入ったことは無かったのだった。

あるとき家の主である彼女から、物置の片付けの手伝いを頼まれた。
大きな三面鏡のついたドレッサーがひとつ置いてある部屋で、そのときわたしははじめて三面鏡を観たのだった。
そっと三枚の扉を開けると、そこにはこれまで観たこともない景色が広がっていたのである。
正面を向きながら自分の前頭と側頭と後頭を一度に観る体験は、まるで目玉が幾つもあるかのような錯覚に陥って頭がクラクラした。通常の鏡は、鏡の外側に居る自分と鏡の内側に居る自分が、ひとりづつ対になっている訳であるが、三面鏡はその概念を打ち破る。鏡の外側に居るひとりの自分に対して、鏡の内側に居る三人もの自分が、自分を見つめ返してくるのである。幼心に衝撃であった。

右手を挙げれば左手を挙げ、左目を右手で擦れば右目を左手で擦る。
そんな当たり前の鏡の中の出来事が、わたしが急に疑わしくなってきたのだった。
目を皿のようにして、丹念に入念に鏡の内側に居る自分を睨みつけながら、わたしはしばらく三面鏡の前でああだこうだと動き回ったが、とうとう最後まで鏡の内側に居る自分はそっくりそのまま真似を成したままであった。
当時、若干の懐疑概念に囚われつつあったわたしは、なおも言いようも無い疑いが晴れず、だれも居ない物置の中で右往左往を繰り返すうち、明確な疑問が頭に浮かんだ。

「いったい、扉の閉じた三面鏡には何が映っているのだろう?」

今思うと、なんとも滑稽で愚かな疑問であるが、当時のわたしは本気だった。
ふいに扉を開いたり閉じたりすれば、鏡の中の「何か」が隠れ損ねてすこしは目撃することができるかもしれないと考え、挙動不振に扉を開けたり閉めたりしながら隙間に顔を突っ込んで夢中になって中を覗いた。
そうこうしているうちに、いつまで経っても物置から出てこないわたしを心配して家の主が様子を観に来て、紅潮する頬で興奮気味に早口で説明するわたしを観て笑った。

なぜあの時、この珍妙な疑問は生まれたのだろうかと考える。
それは、わたしが当時懐疑主義に陥っていたからでもなく、あの薄暗い部屋に恐怖を感じていたからでもなく、ましてや鏡の構造を理解していなかったからでもない。人と人のコミュニケーションで自然発生する「見ること」と「見られること」という関係性の精確さを、なんとしてでも証明してやりたかったからである。
そうした意地が姿を変えたものこそが、「いったい、扉の閉じた三面鏡には何が映っているのだろう?」という疑問だったにちがいない。
高校に進学し、いつのまにか彼女の家に行かなくなってしまったわたしは、ふと彼女のことを思い出し母に尋ねた。
彼女は数年前に長屋を引き払い、高級シニアマンションに移ったらしい。あの三面鏡はどこへ行ってしまったのだろうか。