五億年ボタンと百年テクノ

人間は24時間に体内のすべての構成物質が入れ替わると言われている。
明日のわたしと今日のわたしと昨日のわたしは、生まれては死にを繰り返しながら、毎日伝言を続けながら物質的には確実に別人へと成り代わっている。
物理的に崩壊してしまわないのは、それらのバトンを渡すタイミングが局所すこしずつずれているからに過ぎない。

3月11日、わたしは町田で数時間徘徊し長蛇の列に並んだのち、ようやく入れたネットカフェで、ひとり不安と絶望の中でtwitterskypeにアクセスしていた。
物質的には触れられないけれど、においも無いけれど、声も聞こえないけれど、そこにある64bitの活字たちを眺めているだけで、なんだかみんなといっしょに居られるような感覚に陥っていた。
ネットカフェの薄い壁を隔てた向こうでは、女の子のすすり泣く声が一晩中聞こえていて、それを子守唄にいつの間にか眠ってしまっていた。

わたしがはじめてインターネット上へ自分の意見を発信したのは、おそらく約10年前だった。
小学校高学年だったわたしの家庭にはじめてやってきたwindowsのパソコンで、恐る恐る書き込んだ同年代の女の子が運営しているブログのコメントだったような気がする。そのブログ内には、暗黙のルールのようなものがあった。コメントをする際に各々が使用するアイコンの種類や、そのブログ内独特の挨拶や言い回しに至るまで、数種類の規則を運営者の女の子は作っていたのだった。顔の見えない相手の気分を害さぬよう最新の注意を心がけて何度も読み返しながら考えた数行のコメントが、どんな内容であったのかはもう忘れてしまった。
しかし、ファンシーなドットイラストで象られた[送信]のボタンを押す瞬間の、胸高鳴る緊張感は身体がしっかりと覚えている。今はもうインターネットを利用していて感じることのない緊張感だ。

80年代末尾に爆発的に普及したブログサービスは驚異的なスピードで、老若男女へと浸透した。
街中ですれ違う•電車で相乗りする•店内で隣に座る、そんな物理的には非常に近しいところに居るのだけれど、精神的には遠いところに居る他人。
そうした微妙な関係性を保つ他人同士が、半透明の世界で触れることはできないけれど精神的つながりを持ったときの奇妙な立ち位置がブログだった。本来なら見ることのできない他人の心うちを覗き見できるという背徳感と、本来なら見せることのない自分の心うちを垣間見せるという背徳感は、
「みだりに個人情報をインターネット上へ公開してはならない」と固く説かれたメディアリテラシーを、SNSの蔓延と共に崩壊させた。
この一連の流れこそが、今日日のオフラインとオンラインの世界が完全にリンクしはじめようとしている現状の発端となっているのだとおもう。日も落ちないし、月も昇らない。昨日も今日も明日も無い、永遠に続く世界だ。

一人暮らしをして時計を見ることが無くなった、6時にテーブルの前に座っても朝食は出てこないし、18時に浴室へ行っても浴槽にお湯は張られていない。
まるで24時間インターネットの世界にいるようだった。いつどこへアクセスしても、いつどこで何をしても良い世界だ。こっちだって、昨日も今日も明日も無い。