口癖と沈黙

いきなり電話口で「俺の口癖はなに?」と聞かれた。
電話の相手とはたまに電話をする仲で、最後に会ったのはかれこれ一年前だろうか。
関西訛りのすこしけだるそうな声を聞きながら、彼の顔を思い描いた。

「急に言われると、特に思いつくものは無いけれど」
「そうか、意味は無いねんけどな」

でも、いつも駅前の立ち飲み屋前にあるベンチを観ると彼を思い出す。なぜだろう。
いつもそこで話をしていたわけでもないし、何か大きな出来事があったわけでもない。一度だけそのベンチで待ち合わせをしただけである。
なのにそのベンチの前を通るたび、思い出してしまうのだ。
どんな服を着てどんな体勢でどんな風に待っていたのか、克明に頭に浮かぶ。
まるで彼が口癖のように、いつもそこに登場する。

わたしは口癖には大きく分けて2つの性質があると思う。
ひとつは、癖のようにいつも口を突く言葉たち。
もうひとつは、いつも口を突く言葉とおなじくらいのインパクトを持つ言葉だ。
後者の口癖は、個人のそれというよりは時代が発生させる集合的無意識だ。
同じ枠内に属する人々が知らず知らずのうちに、同じ言葉を使う。その枠内は学校や職場といったコミュニティだったり、世代だったりする。
そうした枠の外側に居る聞き手が、違和を覚えたとき、その言葉は口癖になるのかもしれない。

おそらくわたしにとって、あのベンチは彼との待ち合わせにはコブだった。

劇場とペペロンチーノ

先日、池袋は文芸坐ゴダールナイトへ行った。
http://www.shin-bungeiza.com/allnight.html

文芸坐は数年ぶりの再来である。前回は三島由紀夫ナイトだった。幕間に流れる館内放送の声が懐かしい。
人々が、思い思いの相手と、思い思いの格好で、無言の夜を共有する。薄靄の中でひっそりと共有する。

約八時間の睡眠学習が始まる前に、菊地成孔先生によるゴダール作品群への映画音楽的考察があった。
さながら名探偵ナントカのようなおはなしだった。
キューブリックナイト以来にお目にかかる彼は、変わらず沢山の煌びやかな指輪やピアスを身につけていた。
いったいどこであれらのアクセサリーを調達しているのだろう。

上映内容は以下
『東風』(1969・仏=伊=西独/IVC)監督:J=L・ゴダール、他 出演:A・ヴィアゼムスキー
『たのしい知識』(1969・仏/IVC)監督:J=L・ゴダール 出演:ジャン=ピエール・レオ
『ウラジミールとローザ』(1970・仏=独/IVC)監督:J=L・ゴダール、J=P・ゴラン
『万事快調』(1972・仏=伊/IVC)出演:イヴ・モンタンジェーン・フォンダ

写真や映像の合間にたびたび登場する手描きのタイポグラフィが大変美しい。
書体は何だろうか。ものすごくウエイトの小さいカンマが独特。
ゴダールの作品は、自分がいったいどこからこの風景を観ているのか混乱する。
ピントの合わない風景を、必死に追いかけているうちに夜が明けた。

帰宅後泥のように眠り、夕方ペペロンチーノを食べながら泣いた。恥ずかしい。
視界の隅に、知人の顔を発見しそそくさとパスタ屋を後にした。
赤く滲んだ目で、昨夜の感想を言い合ううちに時間になり解散した。